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安藤忠雄展


国立新美術館で開催中の展に行ってきました。
一般の人でも知っていると言えばこの人くらいでしょう。
僕自身、もともとは建築の勉強をしていた訳では無いので、建築を始めた頃まず知ったのは安藤忠雄さんのことでした。
彼もまた独学で建築を学び世界で活躍しているということでとても勇気づけられたのでした。

平日にも関わらず会場はとても混んでいました。
見に来ている人たちは、安藤忠雄の作品というよりはむしろ安藤忠雄という人間に興味を持っているように思えました。
なぜ安藤忠雄が人々を惹き付けるのか?それは人々が情熱大陸やプロフェッショナルなどの番組を好むことと似ているのではないでしょうか?
元プロボクサーで独学で建築を学んだという特異な経歴、そこから世界で活躍し、メディアにもしばしば登場する。
言ってみればスーパースターなのです。

しかし、彼の作品には風当たりも強い。暑い、寒い、無機的、収納がないetc…、確かにそれらは重要なことですが、彼の作品の本質ではありません。
僕も今でこそ省エネ、エコな家づくりを心がけていますが、なぜか彼の建築を批判する気にはなれない(近年の作品はあまり好きではないですが)。
彼の建築の特徴は、光や風など形のない自然を抽象化して建築の中で表現すること。それは禅の思想にも通じるように思います。
本来「地」であるはずの建築は余白であり、それ以外の抽象化された自然の方が主役となるという自然中心の考え方。

もう一つの特徴はストイックさでしょう。
コンクリートを打ってしまえばほぼ完成してしまう工法は、現代のハリボテ化する建物へのアンチテーゼの様にも思えるし、その力強い表現は建築から失われた生命力を取り戻そうとしているかの様にも思えます。
僕の事務所のメインコンセプトである「」も素のままの家という意味で彼の影響を受けています。
僕の場合は、木造でコンクリート打ち放しのような空間を作れないかと思ったのがきっかけでした。

彼の初期の住宅は住むことの不便さを許容しているのも大きな特徴です。
欲しいものだけを取り込み(それは眺望だったり、光や風だったりする)その他は捨て去る、そのために生活が不便になることは許容する。
何かを得るためには何かを捨てなければならないことはこの世の必然である、と言っているかのように。
その大原則を忘れてあれもこれも欲しいと欲望のままに突っ走る現代人へ「足るを知れ」と喝を入れているのではないでしょうか?
元ボクサーらしいストイックさ。

私のする住宅は、安藤氏のそれとは対極的に、夏涼しく、冬暖かい快適さがあります。
それでも、私が安藤氏の考え方に惹かれるのはやはりそのストイックさです。
ハードウェアである住宅や設備などに頼りすぎるのではなく、住まい手が自ら主体的に動く、多少の不便に寛容になる、過剰さを排し、工夫する、そしてそれを暮らしの楽しみとして捉えるというのは、ハードである住宅の性能が上がったとしても忘れたくはないと初心に帰ったのでした。

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